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大阪高等裁判所 昭和60年(う)674号 判決

被告人 稲倉睿

昭三八・八・一五生 飲食店経営

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人花房秀吉、同原滋二連名作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官沖本亥三男作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一、控訴趣意中法令適用の誤りの主張について

論旨は要するに、原判決が国外に退去強制されたカニカ・チュアムンパン外五名のタイ人女性の検察官に対する各供述調書(以下単に本件各調書ともいう)につき信用できない情況のもとで作成された疑いがないとして、右各調書を刑事訴訟法三二一条一項二号前段により証拠として採用したのは、同法条の適用を誤り、ひいて憲法三七条二項に違反しているというのである。

しかし、刑事訴訟法三二一条一項二号前段によると、検察官面前調書の供述者が、「国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき」は、同条一項二号後段又は同条一項三号に規定するような「信用すべき特別の情況の存する」又は「特に信用すべき情況のもとにされた」ことの要件をまつまでもなく、同条一項一号の裁判官面前調書と同じく、直ちに証拠能力を取得すると解するのが相当であつて、このように解しても憲法三七条二項に違反しないことは最高裁昭和三六年三月九日第一小法廷判決(刑集一五巻三号五〇〇頁)の趣旨にてらし明らかであり、原判決が本件各調書の供述者がいずれも国外にいるとして刑事訴訟法三二一条一項二号前段により本件各調書を証拠として採用したのは結論において相当である。

所論は、刑事訴訟法三二一条一項二号前段の適用にあたつて反対尋問に代わる信用性の情況保障が必要であるとの見解のもとに、(1)タイ人女性は捜査当時すでに国外退去強制が決められており、公判廷で反対尋問にさらされるおそれのないことを捜査官、タイ人女性とも承知のうえで供述調書が作成されているから、このような情況のもとで作成された調書に信用性の情況保障は存しない、(2)捜査官は当時被告人のもとで働いていた女性一二名のうち国外退去強制の明白な本件六名に限つて公訴事実を構成し、この者の供述調書のみが証拠となるようにしているので、捜査官にことさら被告人に反対尋問の機会を与えないで立証しようとする意図のあつたことが明らかである、(3)本件各調書は通訳人二名を介して作成されているが、適正な通訳がなされているという状況的保障は存しないと主張する。

そこで検討するのに、刑事訴訟法三二一条一項二号前段の適用にあたつて反対尋問に代わる信用性の情況保障を必要としないと解すべきことはすでに説示のとおりであるが、右法条は被告人の証人審問権の保障の例外として設けられている趣旨にかんがみ、その適用については慎重な考慮を払うべきこというまでもなく、「国外にいる」との要件につきこれを厳格に解し、国外にいる事情ことに捜査官がことさら被告人の証人審問権を妨害ないし侵害する目的で供述者を国外に行かせたかどうか等を検討し、「国外にいる」ことがやむをえないと認められる場合に限りこの要件にあたると解すべきである。そしてこの要件にあたると認められる以上証拠能力を取得するのであるが、その証明力を判断するに際しては右調書が後日証人として喚問され反対尋問にさらされることのないことを承知のうえで作成されたものであることを念頭におき、供述者が外国人であるときはその通訳の適正さを確認したうえ、その供述内容自体における不自然不合理な点の有無、他の物的証拠、供述証拠との矛盾の有無等を一般の調書より以上慎重に検討すべきであろう。

これを本件についてみるに、本件は被告人がその経営する「喫茶ラウンジ前衛」でタイ人女性六名を自己の占有管理する場所に居住させ、これに売春させることを業としたほか日本人女性二名と売春契約をしたという事案であるところ、原審証人山本博の証言、司法警察員作成の昭和五八年一二月二四日付捜査報告書抄本、司法巡査作成の同年一一月二五日付旅券謄本作成復命書、大阪入国管理局長作成の回答書(昭和五九年七月二六日付証拠調請求書添付のもの)ほか、当審で取調べた証人寺井忠尚の証言、大阪入国管理局警備第二課長作成の回答書によると、右前衛が捜索されたのは昭和五八年一一月二四日で、当時同店には売春婦と思われるタイ人女性九名、日本人女性三名がおり、同人らを取調べた結果同店に住み込みで売春していたのがタイ人女性のみであり、その九名はいずれも出入国管理及び難民認定法により早急に国外に退去強制されることが決まつており、捜査官は右九名のうち六名の供述のみで足りると判断して右六名について管理売春したと立件起訴し、日本人女性については売春婦と認められた二名につき売春契約したことで起訴したが、右タイ人女性九名とも退去強制令書の発布をうけ、同年一二月六日ないし同月一四日に出国しており、右令書の発布、出国の経過に通常と異なる点はなかつたことが認められるので右事実によると、捜査官がことさら反対尋問にさらされない女性のみについて公訴事実を構成し、或いは入国管理官と通謀するなどして出国をことさら早めたりしていないことが明らかであるから、本件タイ人女性が「国外にいる」と認定したことは右要件を厳格に解しても相当と認められる。さらに証明力の点でみると、本件各調書作成の際通訳が適正にされたことは原審証人山本博の証言によつてこれを認めるのに十分であり(通訳人がタイ語に堪能であることは、通訳人の職業、経歴にてらし明らかである)、また本件各調書の内容は各タイ人女性が被告人に雇われるに至つた経緯、契約内容、売春の状況等につき被告人を除くその余の従業員、日本人女性の捜査官に対する各供述調書とおおむね符合し、反対尋問にさらされないことから通常予想される不真面目さ、無責任さは何ら認められず、むしろ本人それぞれの記憶、理解力に応じ真摯に供述している状況がうかがわれるところから、その証明力も一般の供述調書のそれに何ら劣らないと認められる。従つて所論(1)ないし(3)の主張はいずれも採用できない。論旨は理由がない。

二、控訴趣意中事実誤認の主張について

論旨は要するに、被告人は管理売春をしたことはなく、松本美保、澤姫美娑緒と売春契約をしたこともないのに原判決がいずれもこれを積極に認定したのは事実を誤認しているというのである。

しかし、原判決挙示の関係各証拠によると、原判示第一の事実については、カニカ・チユアムンパンほか五名がいずれも「前衛」で被告人に会い、店に遊びに来る客とセツクスすれば一人につき一万五〇〇〇円ないし五〇〇〇円やると言われ、前衛に住み込んで売春婦として働いたが、売春する以外収入の方法がなく、夕方から午前零時ころまで客待ち、セツクスをくり返しその間一切外出禁止であつたこと、第二、第三の事実については澤姫美娑緒及び松本美保がいずれも前衛で被告人に会い、一人の客につき一万五〇〇〇円貰う売春婦として働くことを定めたことをいずれも認めるのに十分であつて、右事実から管理売春及び売春契約の成立を認めた原判決に所論のような事実誤認は存しない。

所論は、被告人の原審及び当審公判廷における供述、右供述にそう原審証人朴龍吉、佐野義一、澤姫美娑緒、松本美保らの各証言に依拠し、被告人が前衛で売春婦を雇い、これに売春させたことはないと主張するのであるが、右朴らの各証言内容は、右朴らの検察官に対する各供述調書に比し、当然記憶にあるべき重要な事項につきあいまい、かつ、矛盾する証言をしていて、不自然、不合理な点が多く、さらに前記のとおり信用性に欠けることのないタイ人女性の検察官に対する各供述調書とも異なり、また検証調書により明らかな前衛の構造、施設、遊客の捜査官に対する供述調書にてらしてもとうてい信用し難く、右各供述調書により認められる前衛における営業の実態にてらすと、被告人の原審及び当審公判廷における供述も信用できない。論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用の負担につき同法一八一条一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 松井薫 村上保之助 木谷明)

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